わたしは将来のビジョンが実は明確じゃなかったりします。
見えない、じゃなくて
まだ決め付けたくないに近いんだけど
なんていうのかな
ずっとずっと
アートと人間の距離感について考えてたんですね。!
そこにわたしの明確なるビジョンが隠れていると思って。
ずっと美大に進学したいと思ってから意識的に考えてたんです。
ずっとずっと考えて練って
誰かに話したりして整理して
最近ようやっと形はつかめてきましたー
といってもとくにすごいことでもないんだけど
わたしはアートが人間の少し高みにあることに疑問をもったんです。
アートにビジネスが絡んで持ち上げられて綺麗な額に入れられて飾られて
非常に受動的なんですね
素晴らしい技術から受ける感動や刺激はすごいです。だから美術館があるし、貴族は絵を欲しがったし、いまでも絵画には観客がつきものなんですね。
それはそれでいいと思うんです!例えばファッションとは違って衣食住に密着しすぎていないラフで自由な、かつタフな距離感は魅力的。
でも、アートってそれだけじゃないと思うんですね
つまり、技術をもった作者の先にはキャンバスがあり、キャンバスの先には観客がいる、そういう関係のみに芸術が成立するんだとしたら、それは違うと思うんですね
いまここでいった関係を図にすると
作者 キャンバス 観客(you)
● → ┃ → ◎
わたしがこれから提示するスタイルは
作者(you) キャンバス
◎ → ┃
なんですね。
先日、勾当台公園でフリーマーケットがやってたので遊びにいったら
勾当台公園や市民広場を中心に、みんなの音楽祭っていう
身体障害者や知的障害者もみんな一緒にダイレクトに音楽を楽しもうという催し物がやってて
隅にあった小さなステージの前に絵をかくスペースがあったんですね
そのステージの音楽を聴きながら表現しようというテーマで
顔や文体がわかる形は避けて、音楽にあわせてドローイングするんですけど
すごく軽い気持ちでやろうってなって、説明を受けながらやってみたらなんというか
純粋に楽しかったんです。純粋に。
技量も関係なく、うまく描こうという気持ちも邪魔しないで
完成した作品はひとそれぞれぐちゃぐちゃしてて伝わりにくいけど
描いてる側のその楽しさがすごく刺激的で
そのとき、この感覚だなって思ったんです。
さて
ファッションとアートは結び付くことはできるけど、融合はしてきませんでした。うまく中和しないんですね
なんでかっていうと、ニーズにおける位置が違うし、コンセプトが違うんですね
ファッション→着る
アート→描く観る感動する
そしてファッションは衣食住に密着しすぎている。ゆえに、アートな衣装はビジネスでは成り立たないのです
ファッションからビジネス抜いたらただのアートだから。
そしてアートは日常生活の少し高みにある。
誰が決めたんでしょうね。私たち人間ですよ。
アートはもっと身近なものなんです
それはすごくダイレクトで、欲の一部として成り立っているからなんです
なにがいいたいのかというと
ファッションとアートの中和を考えたとき、その完成形は見えねども(見えたら既に存在しているから)互いにの距離感っていうのは同じになるべきなんです
つまり
アートが
もっと日常生活に密着するものになるべき(概念としてね)だと思うんです
伝えたいのはあの感覚なんです
キャンバスに油絵の具を塗ったことある人なんて少ないと思います
そういうのはほしくないんです
ドローイングという行為がもたらしてくれる、精神的欲求の不満解消や刺激や、なによりダイレクトな鳥肌っていうもの
また、自分でつくったという現物が残るっていうのは感覚として非常に大きいし、知的感覚で、掴みやすい。
だからそういうのを伝えたいなって
そういう機会をさりげなく導くような(意識的にだと、偏りが生じる)
そういうアクションを起こしたいんですね。
まだ形は見えてないんです
でもあの感覚がきっとファッションとアートの完全なる中和に導いてくれる、と期待して
これからもっとおもしろくなりそうです。
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